オステリアデッラミゼリアができるまで

外観

オープンしてからお客様に当店の店名の由来を聞かれる機会が多かった為、簡単ではありますがご紹介させていただきます。

 

料理の世界へ

もともとパティシエを目指していた私のスタートは18歳で、北見市のケーキ店でアルバイトをするところから始まりました。

その後、札幌市内の調理師専門学校で友人と切磋琢磨する日々を送るうちに奥深い料理の世界に引き込まれていきました。

卒業後は札幌グランドホテルで勤務、そこでは主に接客を勉強させて頂きました。

その後、札幌のイタリア料理店で修行をしました。

働きながらもいつも頭の中には学生時代に研修旅行で訪れたイタリアの事が忘れられずにいました。30歳までにはイタリアで働くという目標がありましたが、当時はまだ宙に足の浮いたような話で何をすればいいのか検討もつきませんでした。

24歳 イタリアへ

そして24歳の時に転機が訪れました。

きっかけは、23歳の時に起きた東日本大震災でした。

当時働いていたお店は魚介のイタリア料理に長けたお店でした。

東日本大震災発生後の風評被害と自粛が当時飲食業界に多大な影響を与えました。飲食業界から離れるかの決断を迫られました。

迷ったのち意を決して本場イタリアに修行に行くことを決断致しました。
まずはフィレンツェで語学を勉強した後、

イタリアの有名店、計4店で3年半の修行をしました。

料理の世界へ

料理人としての登竜門

修行先4店目で運命の出会いがありました。

そこはイタリア、エミリア・ロマーニャ州とマルケ州の州境にあるガビッチェモンテという場所にありました。

40年以上の歴史がある「オステリアデッラミゼリア」は2件目の修行先からほど近い場所に位置し、当時修行中に仲の良かったイタリア人の友人がよく連れてきてくれたお店でした。

その友人とオーナーのグイド・イオザ氏のご厚意で働くこととなり、友人と2人で厨房を切り盛りすることとなりました。

「オステリアデッラミゼリア」は料理人なら誰もが知る場所であり、ここで経験を積み、輩出されお店を拓いたり、有名店に行く料理人も多いことから、イタリアのシェフの中では登竜門のようなお店でした。

しかし一緒に働いていた友人が急遽ミラノに帰ることになってしまい、

それから約1年半を一人で切り盛りすることになりました。

料理の世界へ

そして、日本へ

そして数年後、日本に帰国した際には自分のお店をやりたいと思っていたこともあり、そのことをグイド氏とよく話をしていました。

日本でやるなら同じ店名でやったらどうか?、グイド氏が作り上げてきた人の集まる気軽に誰もが楽しめるお店をという意思を日本で継ごうと心に誓いました。

「同じ店名なら遠く離れたイタリアでも成長を見守れる」

そう言っていただき、日本に戻り同じ店名として開店しました。

今もガビッチェモンテにはかつての「オステリア デッラ ミゼリア」の場所に店名を変え恩人グイド氏が「オステリア デッラ ヴィーニャ」として、お店を再スタートされました。

ここ遠軽の「オステリア デッラ ミゼリア」のロゴは「ロゴをどうしようか?」という相談をグイド氏にメールで相談していた際に彼が再スタートした際に作った「オステリア デッラ ヴィーニャ」のロゴをかつての店名に書き換えてある日これを使いなさいと送ってくれたものです。

そのため店名こそ違いますが、同じロゴマークを使用しています。

”今もどこかで繋がっている”
そんな想いで「オステリアデッラミゼリア」は遠軽の地で誕生しました。

まだまだ産声をあげたばかりのお店で、至らない点がたくさんあると思いますがこれからも何卒ミゼリアをよろしくお願い致します。

そしてこれまで支え、笑顔で送り出してくれた方々の温かいご支援ご協力に感謝致します。

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